雪かきと花びら第1話しとやかな獣①

 俺は今、早朝の雪道を歩いていた。十二月三十一日の夜勤を終えて、職場から徒歩圏内の自宅へ歩いている。この意味がわかるか? 俺は職場で年を越してしまったのだ。そう、今日は元旦。新年早々このクソ寒い道を歩かされている。夜勤でボロボロの体で。

 車道には黄色い除雪車が忙しく走っているが、歩道はまだ馬鹿みてえなドカ雪が残っている。雪に足を取られながら俺は思い出す。昔、何かのアニメで「仕事は雪かきだ。みんなが嫌がることを率先してやることで金が生まれるんだ」というセリフを聞いたことがある。それを見た当時は大学生で「そういうものか」と思っていた。しかし今は実感をこめて言う「仕事は雪かきだ」。

 しかも俺には仕事の後のご褒美すら無い。人付き合いが苦手で友達はいない。家族には顔を合わせづらい。なけなしの金で好きな小説や写真集を買って読むぐらいしか趣味が無い。あと煙草。

 それに俺はサディストだ。しかしここ数年、良いパートナーと出会えておらず嗜虐心が全く満たせていない。SMバーやSMクラブに行けばいいじゃんと思うだろうか。そんな金払っていじめるだなんてインスタントなプレイで俺が満足できると思うか? そもそもこんな東北の地方都市にそんな店は無い。

「潤いがない……」

そう呟いても言葉はただ白い息に溶けていくだけだ。

 視界を遮る吹雪の隙間から見慣れたアパートが見えてきた。俺の住む西向き六畳間ワンルーム、日暮荘だ。「もう少しだ」と凍りそうな足を進める。ところがアパートのゴミ捨て場に何か茶色くて大きなものが倒れていた。

「熊が死んでるのか?」

と思ったが熊にしてはシルエットが細長すぎる。まさか、人か? だとしたらヤバい。こんな氷点下の吹雪の中で寝ていたら死ぬぞ。

「大丈夫ですか!」

どこからそんな大声が出たのか自分でもわからなかった。傘を投げ捨てて、最後の気力を振り絞り走り出す。途中、雪に足を取られてよろけるが何とか倒れている人の元まで辿り着く。近くでその人を見ると華奢ではあるが背格好から推測するに自分と同じ年くらいの男だった。

「お兄さん、こんなところで寝ていたら風邪引きますよ!」

声をかけても体を揺すっても返事が無い。走ってきて体は熱いはずなのに、なぜだか血の気が引いて寒い。

「新年早々死体の第一発見者だなんて嫌だぞ。おい! 目を覚ませ、お願いだから!」

俺は男の意識の有無を確かめるために、男の顔に掛かっている雪と乱れた前髪をかき分けた。そのとき、思わず息を呑んでしまった。

「……綺麗だ」

男の顔はまるで人の手で作られたかのような現実離れした美しさだった。金色の長いまつ毛、整えられた眉、薄く形の良い唇、高い鼻。目の周りの彫りなんか彫刻刀で丁寧に作られたようだった。俺は思わずうっとりしてしまった。今そんなことをしている場合じゃ無いのはわかっている。でも現実を忘れさせてくれるような、夢の中の光景のようだった。

 静かに見つめていると男が目を覚ました。俺はようやく現実を思い出し、緩んだ口元をキュッと取り繕う。

 男は目を覚まして俺と目が合ったとき薄く口を開いて何か言った。しかしその瞬間、除雪車が轟音と共に雪を撒き散らしながら通過したので俺は聞き取れなかった。

「大丈夫か? 救急車呼ぼうか?」

俺は怖々話しかける。男は一瞬状況が飲み込めていないようだったが、すぐに思い出し「大丈夫です」と言う。

「お腹が空いて、倒れていただけですから」

と言い切る前に男はゴホゴホと大きく咳き込んだ。深緑の瞳は潤み、顔は青白くなっていた。

「言わんこっちゃない。完全に風邪引いてるぞ。とりあえず俺の部屋で休め。歩けるか?」

男をお姫様抱っこしてアパートの中へ入る。俺の部屋が一階で良かったと思った。雪でコートがぐっしょりと濡れてちょっと重たかったからだ。

 男は抵抗する力が残されていないのか、すんなりと俺の部屋に連れてかれた。ていうか俺の腕の中で寝てた。警戒心が無さすぎて不安になる。

 部屋に入れると男から雪でベタベタのコートを剥ぎ取り布団の中に入れてあげた。ストーブと暖房の電源をマックスにした。電気ケトルに水を入れて湯たんぽの支度をした。

「開店同時にドラッグストア行って風邪薬買って……レトルトのおかゆも買おう。体も拭いて、俺の服でいいからラクな格好に着替えさせて……」

俺は電気ケトルの沸騰を待ちながらやることを考えていた。しばらくして電気ケトルがカチリと呼ぶので湯たんぽに湯を流し込み、男の足元へ入れてあげた。

「初対面の相手にこんなに甲斐甲斐しく世話するなんて、俺はどうかしてる」

本当にどうかしてる。でも俺は夜勤でボロボロの体をこたつに突っ込んで寝ることにした。

コメント